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全ての現象はそれ自体の側から独立して存在してはいないということを忘れてはならない-ダライ・ラマ14世さんのお言葉

下山の時代を生きる 対談:鈴木孝夫・平田オリザ

 

 

 久しぶりに図書館で借りた本の中に、登山の時代は終わった、と書いてあり、これは自分にも当てはまることなのではないかと感じました。つまり、下山の時代。

 私的な話、創作面においては登れるだけは登った、そして、そこから下山してゆくというイメージがしっくりきます。

 

 

 平田:先生、フィンランドに未来委員会という組織があるのをご存知ですか?国会の正式な機関なんですが、50年、100年先のことだけを考える委員会が国会内にあるんです。日本にはそういう組織も発想もありませんね。

 

はしょり

 

平田:ぼくもそう思います。参議院は少なくとも党議拘束を外して議論すべきで、日本の未来だけではなく世界の未来、地球の未来を考えてフィンランドのように100年先をみなければいけない。そういう話し合いの場に参議院がなったらいいと思います。

 

はしょり

 

平田:第一章でも語ってきたように、本当に日本はその持っている良さを世界に発信することが苦手ですね。

 

 

 少し、私的感想を挟みますが、平田さんはこれからの日本と日本人は、三つの寂しさを受け入れなければならないと説く。

・日本はもはや工業立国ではない

・この国は成長せず、長い後退戦を戦っていかなければならない。

・もはやアジア唯一の先進国ではない。

 

 

 平田:では、その日本の「大きさ」というところから。まず今日は、読者の方たちのためにも、少し基本的なところからおうかがいしたいと思っています。ぼくもよく学生たちに日本語というのは意外に大きな言語なんだと話すのですが、これは、世界の中でどのくらい大きな言語だと思えばいいのでしょうか?

 

鈴木:言語の大きさの基準は二つあって、一つはその言語が持つ世界的な影響力。もう一つは喋っている人の数。絶対数です。

 まず、母語話者の数の観点から言うと、私もいろいろな大学でこれまで学生たちに何度も聞いたのですが、みんな情けない答えを返すんです。今世界に約6000の言語があるとすれば、日本語は何番くらいかと問うと、「やっぱり1000番台でしょうか」とか「少し上に見積もって100位くらいですか」なんて言う。

 正解は、上位10番を下ったことはないんです。これからはアフリカや東南アジア、中国でさらに人口爆発が怒るだろうから順位は下がるだろうけれど。明治維新以来、日本人は日本語のことをちっぽけな、駄目な、劣った言語だと思い込んできましたが、実はその間も話者数では世界の上位にありつづけた横綱級の言語なんです。

 

 

 また少し私的感想を挟みますが、図書館で借りようと思って借りなかった本の中に、イヴォン・シュイナードさんの新刊、フライフィッシングの専門書、が目に留まりました。これも下り坂の時代にぴったりの本で、流石、と思いました。わたくしはフライフィッシングをしませんので借りませんでしたが。イヴォン・シュイナードさんの著書も、下山の時代を生きる、とは書いておられませんが、発想は同じで、地球資源の節約、かな、また読み直したいと思います。

 

 

平田:そうなんです。彼らにも我々が見えている風景を教えてあげることができる。それが日本人の役割の一つですね。日本の特質を教えることができれば、彼らの世界を広げることにもなるのです。

 

はしょり

 

平田:これからの日本と日本人の課題は、世界が否応なくグローバル化する中で、日本というハイコンテクスト(阿吽の呼吸)な社会がどうやってローコンテクストな世界で生き延びていくかという点につきると思っています。日本の持っている良さ、特徴、特質などを、独善に陥らない形で、まさに相手のコンテクスト(文脈)で、世界に発信することが必要です。

 

はしょり

 

平田:先ほど言ったハイコンテクストな社会というのは、「日本人」という者が無前提にあって、その「日本人」なら共有できる感覚ということですね。「日本人ならわかってよ」、「日本人なら察してよ」という感覚が、たしかに私の中にもある。その私たちの感覚が、逆に世界には日本のことは伝わらないだろうという思い込みにもなっている。

 でもそれは決して悪い面ばかりじゃなくて、たとえば芸術の世界で言うと、俳句とか、世界で最も短い詩の形式をぼくらは持っていて、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と言っただけで、ほとんどの人間が夕暮れの斑鳩の里の風景を思い浮かべることができる。これはまさにハイコンテクストな社会なわけです。

 

はしょり

 

平田:従来のヨーロッパの戯曲というのは、本当にダイアローグ(対話)的でガチガチに組み立てられています。それに対して私たち日本人は、先生がおっしゃられたように、出会っても「紅茶がいいですな」とか「本を出されたんですか」とか「この時計は」とか、いろいろな話を展開しながら合意形成に向かっていく。

 

はしょり

 

平田:本当ですね。日本はもっとそういった言語活動を展開していく必要がある。一方で、国内にいまだにはびこるアジアに対する蔑視をやめないといけない。人種差別とか蔑視を続ける国は必ず滅びる。ローマ帝国以来みんなそうです。

 ぼくはよく学生に話すんですが、最近ではシャープが台湾の企業に買い取られた。ところがシャープって、90年代後半頃まで、亀山モデルのような高度なプラズマテレビは中国では作れないと言い張っていたんです。そんなことはありえないじゃないですか。技術なんてすぐにどこの国にでも追いつかれるのに。

 逆に言うと追いつかれない技術というのは普遍性が少ない。たとえば東大阪の町工場の凄い技術というのは、おそらくなかなか追いつかれないのですが、そらは残念ながら大きくは儲からない。やっぱり儲かる技術というのは、中国人でも東南アジアの人々でも勉強すればすぐに追いついてくる普遍性の高いものです。

 そういうところに謙虚にならないといけない。シャープのように無意識にでも差別感覚を持ってしまって、「あいつらにはできない」なんて言い出すと足元をすくわれる。「下り坂をそろそろと下る」にも書きましたが、「日本はアジア唯一の先進国である」という意識を変えないと、日本という社会が壊れてしまうと思います。

 

はしょり

 

平田:そんなに簡単に憲法改正はできないわけですから、そこを無理やり争点にしようとした野党の戦略にも失敗がありました。国民の最大の関心事は経済であり社会保障ですから、そちらで対案を出して戦うべきだった。

 そもそも憲法に関しては、ぼくはガチガチの護憲派ではないんです。変えるなら変えてもいいと思います。ただし、政争の具になるから問題なのであって、フィンランドの未来委員会のように、将来を見据えた議論にすればいい。70年前にできた憲法は、あの時点では世界史的な意味があった。あれだけの悲惨な戦争があったんだから、もう戦争は、絶対にやめましょうという憲法は画期的だった。だから世界の人が日本の存在を認めてくれた。

 もう一回憲法を作るなら、日本のためだけの憲法ではなくて、まさに地球のための憲法にするというのだったら、ぼくは変えてもいいと思うんですね。

 そのためには、まず、今後10年間は改憲を議案とすることを凍結しますと宣言する。その10年間でいろいろな学識経験者も集めて、日本がこれからの世界のために貢献できる憲法はどんなものだろうかと徹底的に考える。議論をし尽くす。それだったらぼくは、改憲議論にも意味があると思います。改憲でも護憲でもなく、私の提案は期間限定の「凍憲」です。

 

はしょり

 

平田:ぼくも、日本人が外国語を学ぶだけではなく、世界中で日本語はもっと学ばれていいと思います。大事なことは、たくさんの人に喋ってもらいたいということだけではなく、多くの外国の方に日本語的な視点、日本語のものの考え方に触れてもらいたい。たとえ喋れなくても、それだけでもいいと思うんです。

 

はしょり

 

平田:文明の薬と毒の分岐点に関して、エネルギーを例にしてもう一度考えてみましょう。先にも話しましたが、専門家に聞くと、京浜工業地帯や大阪あたりの大消費地を抱える地域の電力の自立は難しいけれど、他の自治体だと県レベルでエネルギーは再生可能になっているそうです。長野県では2050年を目標に、完全に外からのエネルギー輸入が不要になる状態を目指している。いまそれに向かって計画を立てて頑張っているところです。いわゆる「エネルギーの地産地消」が可能になる。あと30年ちょっとですね。多くの地域で、節電と水力、風力、太陽光発電の組み合わせで、ほぼエネルギーはまかなえる。47都道府県のうちで42、3の自治体は大丈夫と言われています。あとは東京の人口を減らせばいい。

 

はしょり

 

平田:たしかにそうなのですが、それでも多少潮目が変わってきていると思うのは、自治体レベルですと、まちづくりの長期総合計画などでは人口減少は当たり前の前提になっていることです。どこの自治体も、人口が増えるなんてことを前提にしている間抜けな政策は、もはや立てていません。ところが国だけがまだ、経済成長を前提とした政策になっている。これは現実を無視したおかしなことなんです。

 

はしょり

 

平田:特に子どもたちは震災のことを忘れていないです。ことにティーンエイジャーのときにあの震災を経験した子どもたちは、人間の生のはかなさに敏感になっている。津波被害の特徴は、生き残った者と亡くなった者を区別するものが何もないという点にあります。交通事故だったらスピードを出しすぎたとか飲酒したとか理由がありますが、津波は一切合切を飲み込んでいった。努力したから生き残れたとかではなく、本当にたまたま生き残ったという子どもたちなんです。

 彼らに話を聞くと社会のことを本当によく考えていますし、日本の将来についても考えている。ぼくが教えているのは、震災後、双葉郡の五つの高校が休校になって、その受け皿として15年に誕生した「ふたば未来学園高校」なんですが、「ぼくは一生懸命に勉強して東大にいって廃炉の勉強をします」とちゃんと語る15歳がいる。そこに希望はあるのですが、そういう感覚を持っているのはあの震災を体験した子どもたちだけですからね。日本全体としては、あの震災は過去のものになりつつあります。

 

はしょり

 

平田:地球憲法に関しては、二つの考え方があると思います。

 一つは国連憲章の中に入れるというもの。もう一つは日本国憲法の中にそういう要素を入れるというもの。この対談の主旨から言うと、日本国憲法の中にその要素を入れるというのは凄くいいアイデアだと思います。日本が地球の一員として名誉ある地位を得ることにつながりますから。

 

はしょり

 

平田:伝統的な食べ物なんかを見ても、漬け物とか鮒鮨(ふなずし)とか、発酵食品が豊富です。動物性タンパク質も、明治開国までは牛も豚も食べないでどうにかやってきました。常緑樹も多いし、自然と共生しやすい環境にある。これらをうまく使えば、日本には輝かしい未来がある。これからは、それらを謙虚に、しかし大胆に世界に発信していきたいですね。

 

 

 はしょりはしょりでスイマセンでした。もし興味のある方があれば、ご一読ください。世の中に本は沢山ありまして、読む程知らないことばかりの自分に気付きます。

 

 

 

下山の時代を生きる - 鈴木孝夫 & 平田オリザ

 

 

 

 

 

 

 昔鈴木大拙さんという方は日本語を英語に、支那語を英訳するのに苦労されていました。現代の平田オリザさんは日本語を外国の方に学んで貰いたいとおっしゃる。時代によって考え方が少し変わったのかな、と目から鱗でした。ダライ・ラマ14世さんも、チベット語や、梵語の大切さを英語で説かれます。そうでないと伝わらないことがそれぞれの文化にはあるのでしょう。その守りたいものは、言語というより、その風情なのかも知れません。風情からもたらされる気持ちなのかも知れません。

 昔ダライ・ラマ14世さんの、宗教を越えて、という本を読んでいた時、ページに日差しが差し込んで、影がまるでヒマラヤ山脈のように見えた時、書かれてある言葉の背景には、きっと幼少期に見られたであろうその大らかな自然があり、仏教を学ぶ以前に、その自然の前で、既に全てを分かり切っておられたような気が致しました。

 

 

 

 

以上

 

 

 

 

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