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全ての現象はそれ自体の側から独立して存在してはいないということを忘れてはならない-ダライ・ラマ14世さんのお言葉

神道のことば (監修:武光 誠氏)

 

 

 

 久しぶりに、神道のことばという本を開くと、こう書いてありました。

 

 日本人は古くから、人と人の和を重んじてきました。そのために温かい人間関係を築くことが求められ、暴力や口喧嘩は避けるべきものとされてきたのです。

 「負けるが勝ち」という格言があります。利巧ぶって相手を言い負かしても、あとで恨みが残ることも少なくありません。それならば妥当なところで引いて、自分の主張を抑えて、相手とのよい関係を維持するのが得策だと考えられたのです。

 しかし、文明が進むにつれて、この「負けるが勝ち」という発想は、後退していったように思えます。

 

 ここまでを読み返しまして、思い出しましたのは、以前会社を退職した時恩師に教えて頂いた言葉。

 流れに逆らわないこと、少しでも思いやりを持つこと、という教えでした。

 その内容も話して下さいましたが、本を読むと、その心得、教えは、神道から来ているのかも知れないとも思えたのでした。

 

 そこで、毎月のカレンダーの言葉のような、この本を少し読み返してみました。

 カレンダーの言葉は一月に一文だからこそ味があると思うのですが、ここではいくつか抜粋させて頂きました。

 

 

 只臨終の夕までの修行と知るべし

(上島鬼貫「独言」より)

 

 平常心をもって一切の事をなす人、是を

名人と云ふ也

柳生宗矩「兵法家伝書」より)

 

 水飲んで楽しむ者あり、錦を着て憂ふる者あり

(中根東里「東里外集」より)

 

 身の楽しむ時慎むべし、心の驕る時恣(ほしいまま)にすべからず

 (編者未詳「曽我物語」より)

 

 家は洩らぬ程食事は飢えぬ程にて、足る事なり

 (千利休「南方録」より)

 

 一村は、互いに助け合い、互いに救い合うの頼もしき事、朋友のごとくなるべし

 (上杉鷹山〈上杉治憲〉「伍什組合の仰出」より)

 

 天地と共に行くべく、天地と共に務むべく、天地と共に託すべし

 (二宮尊徳〈日記の一説〉より)

 

 国の貴賎は繁華をもって定むべからず

 (西川如見「町人嚢」より)

 

 大方の人の心は、野の草の風に随ふが如し

 (鴨長明「発心集」より)

 

 

 日本人が重んじてきたもう一つ大事なことが、人と自然との調和です。日本人は古くから、あるがままの自然の風景を維持して、自然の恵みを最大限に受け続けようとしてきました。自然を大切にすることが、農業を振興させ、食糧を豊かにして、子孫を繁栄させます。自然と調和する生き方が、私たちに幸福をもたらすと考えられてきたのです。

 山奥は山の神様の土地とされて、むやみにそこへ立ち入るのは禁じられ、建築のために山の木をまとめて伐ったさいには、新たな苗木を植林してきました。また、海でも、魚や貝を乱獲して海を荒らす行為は戒められました。

 江戸時代末までの日本人には、環境破壊は無縁のものでした。私たちの心の奥底には、人と自然にやさしくありたいとする気持ちが間違いなく残っています。

 

 

 

 

 ここまでが抜粋となります。もうすぐ(22日)投票日ですな。

 

以上。